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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年11月12日

ぼくのおもひで2

 こんばんは。なんとか今年いっぱいきっちりと更新したいですね。
そんな総括の願いを形に!!

 なつかしい写真が出てきたので・・・。
みなさん入会、配属時の委員長って特別ななにかありますか?

 ぼくは2002年の前期に入会しました。配属の委員会は日本JC関係委員会でした。
その当時の委員長は堀○委員長、初めて参加した事業が京都ブロック会員大会でした。
セミナーを受けたにも関わらず、何がなんだか解りませんでした。

 城陽の大きい体育館でサッカーのストラックアウト(9つの番号を当てていくゲーム)が
あるから「お前いけ!」といわれ、サッカー経験があるということで選ばれましたが散々な結果。
なんとなく終わり、京都駅で堀○委員長に「どや?おもしろかったか?」と心配そうに
声を掛けてもらったのを覚えています。

 

 それから堀○セクレタリーとなったのが運のつきです・・・face07
2002年当時の委員会メンバーさんは個性のあるかたばっかりでした。
特にベテランの杉○さん(法衣屋さん)にはFTは委員長のたばこを買って持っておくもんやと
言われたり、店の勘定や、領収書くばりはFTのぼくがやってたような気がします。(委員長が泥酔でカードを
代りにきった記憶もありますicon10

 そんな深い?不快?縁があり(笑)2003年は近畿地区で副会長セクとして出向。(そんなんありますか!?)
2004年は総務情報委員会の委員長とセクレタリーの関係で同じ。
卒業されても、いまだ、家にご飯を食べにいったり、買い物にいったり、堀○セクは卒業できません。icon15

 写真とは関係ありませんが、堀○委員長との一番のおもひでは近畿地区大会の閉会で
副会長の堀○さんが京都のメンバーに胴上げをされていて、こそっとしていたぼくをみつけて
「こいつも胴上げしてやってくれ。」といっていただいて、胴上げをしてもらったことです。

 ぼくの車のなかでひざの上ににはかれたこともありますが、ICON58みんな忘れることの出来ないおもひでです。icon12

  うさぎ年のICON84どSキューピーでした。とさ。



このときの写真からはキューピーに見えないよね(笑)さわやかだと思う方、こちらでBoooooh~
  
Posted by innovator at 18:46京都JCの事業の歴史

2007年10月08日

2000年度会員交流委員会の思ひ出1

世間ではいわゆる3連休。多くは運動会が開催されていたのではないでしょうか?

今週は・・・後期FTセミナー第2回セミナーが開催されます。
なんといっても先輩講演。フレッシャーだけでなく”ぜひぜひ”多くのメンバーにも聞いていただきたい
ものです。

さて、またまた思い出話を。

1999年広報委員会ではJCの面白さに気づき、来年もということで気持ちが少しJCに
傾いたわけなのですが、せっかく小委員長にと声をかけていただいたにもかかわらず
いわゆる”横取り”事件で思ってもいなかったところへの配属となりました。

それが会員交流委員会。福永荘三委員長のもと集まったスタッフ、委員の皆さんが
言っていたことは
「福永さんのために何とかしたいしな」

僕にとっては初めての人だったのでみんながそう言ってしまう福永委員長とは・・・
そんなことを思う1年でした。

この2000年、会員交流委員会で過ごした思い出はたくさんありました。
僕は第1小委員長としてがんばることに・・・・。

一番最初にぶち当たったのは・・・・動員。
第1小委員会のメンバーを出欠確認だけではなく、来てもらうように説得しなければなりません。
しかし、どんなことをすればいいのか・・・全く見当つかず、しかも電話をしても連絡とれず。
繋がってもそっけない返事。
本当に苦労しました。

でも、この1年あきらめることなく委員会の事業をやっていくことで皆さんの僕に対する
姿勢が変わってきました。
そんな出来事の最初がこれ。


「1月例会、新春交歓会シナリオマニュアルだまされ事件」

勝手にだまされ事件なんて書きましたが(笑)、1999年の12月に
当時の総括幹事、梅原総括幹事(実は1998年から3年同じ委員会でした)から
「ちょっと、こんな感じで作ってくれへんかな」

電話でイメージを伝えるも、何言っているのかよくわからなかったのですが、
なんとなく作ってみると・・・
「つぎはこれなんやけど」

そんなことが何度か繰り返されました。
僕はじっくり考えて・・・・
「何度もこんなことのやり取りするの、うっとしいから、もう全部やってしまえ」

そう思って1月例会から新春交歓会の委員会メンバーの動きを自分の中で
シュミレーションして、名前まで入れて全部作ってしまいました。
もちろん、内容としては粗いものでしたが、かなり評価していただきました。

しかし、本番である例会、新春交歓会の時間帯はどうしてもはずせない仕事が
あったため、本番直前まで会場で準備をして、委員会の打上の席で戻ってくるという
自分の描いたものを見ることもなく残念な形になりました。

しかし、打上の席では福永委員長、岡本好生室長だけでなく、担当の中井隆栄副理事長にまで
お褒めのお言葉をいただいたことは本当にうれしかったです。

そして、それまでビビッていた藤井博史第1小委員長セクレタリー(っていうか
ベテランの先輩でしたが)もこのころから少し優しくしてくれたような気がしました(笑)

だまされて作成したシナリオマニュアルでしたが、正月返上でやった甲斐があり、
委員会の皆さんからもその存在を認めてもらったと実感できた、ありがたい機会でした。


また、例会で思い出深かったのは・・・

「会員交流委員会企画例会」

小委員会は月ごとに例会の役割が変わるのですが、企画・設営担当がいわばメインで
僕がいた第1小委員会は1、4、7、10月が担当でした。

まぁ、この担当がやっかいでした(笑)他の月は他委員会が担当する例会でしたので
いわゆる会場だけの設営(箱だけの)が多かったわけですが、第1小委員会が担当するところには
企画部分が重い例会が多かったのです。

7月例会は会員交流委員会の企画例会ということで、この委員会が企画タイムの時間を使って
何かをしなければなりませんでした。

委員会の性質上、会員相互間で交流が生まれないといけないというそんなミッションがあったので
他委員会のように講師を呼んでの講演ではすまされないのです。

そんな中で決まったのは・・・・クイズ
京都JCを理解してもらうということで過去に行われた事業をクイズのネタにして
しかも交流ということで委員会対抗戦という形式にしました。

対抗戦といっても、正解した委員会は他の委員会から1名指名によりメンバーを引き抜き、
引き抜いた人数の多かった委員会が勝ちというそんなものでした。

出題形式は各小委員会ごとにカテゴリーを持ち、いろんなパターンで出題をしました。

こんなこと・・・当然のことながら事業計画段階では賛否両論でした(笑)
しかし、例会が終わると、多くのメンバーから「おもしろかった」との感想が。

おもしろかったのは出題形式にいろんな演出があり、対抗戦で取り合うメンバーが
特定の方に集中(っていうかメンバーの皆さんが同じ人をあちこち動かす
ことを面白がってやっていたような気がします)していたところのようでした。

ちなみに第1小委員会は小委員会メンバー2人に漫才をさせました。
企画した小委員長の権限で(笑)藤井(先輩)さんと負野(先輩)さんという
当時の僕にとっては大先輩の二人に漫才をさせたのです。
(快く引き受けていただいたのはうれしかったです)

ネタの大筋も僕が書き、それを負野(先輩)の会社で練習するなど、このときは当日までの準備に
小委員会メンバーで時間を費やした記憶があります。

本番も漫才はウケましたし、何より、この例会が委員会メンバー全員の結束を強く固めた実感
(企画内容を委員会メンバー全員で本当によく練り、練習しましたから)を得られたことが
うれしかったです。(でも、シナリオマニュアル作成は僕でしたが・・・笑)

それはこの後の委員会活動への参加意識が変わっていたことが何よりの証拠だと思います。


まだまだ書きたいので、この続きはいずれ・・・・(笑)

                                                 え?まだ書くのって?


もう、お腹いっぱいって方は、こちらをポチっ?!  
Posted by innovator at 21:27京都JCの事業の歴史

2007年10月01日

ぼくのおもひで(FTナイト編)

僕がこの京都JCに入会させていただいたのは、2005年の前期です。
入会前、FTナイトに参加したときの思い出をお話ししたいと思います。
その時は知りませんでしたが、僕が参加したFTナイトはこれが初めての試みだったそうです。

その日ひま?・・あっはい??
ということでJCの説明会というものに行くことになりました。
JC楽しいよという紹介者の勧めもあって、ほぼほぼ入会を決めていた僕でしたが、正直なところJCがどんなものか全く知りませんでした。
ですから初めてJCに直接触れるとあって、かなり緊張face09して会場に向かったのをおぼえています。

いざ会場に着いてみると・・
ICON48ぎょっ!すごい大勢の人がいる!!
みんな笑顔で握手してる!?・・・入会したら僕もあんなんしてるんやろか!?

式典が始まった・・
理事長の挨拶?・・・理事長ってえらい人??
チョクゼン理事長?・・・チョクゼンって直前のこと??
委員?・・・いろんな(チョウ)がいるなぁ・・

事業のスライドを見て・・
フムフム、JCはこんなボランティアみたいな活動をしてるのか・・ちょっとわかった!

名刺交換をして・・
同じJCの名刺でも縦書きがあったり、横書きがあったり、デザインが違ったりよくわからんなぁ

ICON34そしていよいよその時は来たのですICON35ICON35
ぼくが是非JCに入会したいと感じさせてくれたその人との出会いの瞬間がICON35ICON35ICON35

何もわかっていないのですが、入会してもいいのでしょうか?
名刺交換させていただいたら、メンバーのみなさんは有名な会社の方たちが多いのですが、ぼくなんかが入会させていただいていいのでしょうか?
そんなぼくの質問に島当時会員拡大委員長とその人はとなり同士におられ、懇切丁寧に答えていただきました。島委員長がどこかへ行かれた後も、とにかく情熱を込めてお話をしてくださっていました。

その人を初めに見た印象をいうと、
・とにかくピュアな感じ、まさか年上には見えませんでした
・どこか○○しい
・○○が濃いめ

結局そのFTナイトで一番長くお話してくだっさたのはその人でした。
そしてぼくの中でその日一番いい印象が残った人もその人でした。


ぼくがJC入会してからこの会員開発委員会に配属されるまでは、そのFTナイト以来その人と話す機会がありませんでしたが、この委員会で大いに関わる事ができて本当にうれしかったなぁ・・

誰って??
それは僕だけの ナ・イ・ショicon06

                                          謎のスタッフの一人ICON49


これって・・・ふれあいナイトのことなんじゃないの?
でも、そんなの関係ねぇ~ はいっオッパッピィ~?!

いやいや・・・間違ってるやん。関係あるあるicon08
これ誰やねんICON161  
Posted by innovator at 14:21京都JCの事業の歴史

2007年09月29日

ぼくのおもひで(FTセミナー編)

怒りの運営幹事です。嘘です。ICON160
先日の小委員会でいじられています。決してイカリません。
たまに、イラッとなりますが(笑)face06

さて、小学生の様なタイトルですが、
総括幹事の要望!?によりスタッフの週ですのでJCの思い出をブログにします。

今から5年前(もうそんなに経ちました・・・) 2002年、26歳のぼくは前期のフレッシャーとして
セミナーを受け晴れて入会いたしました。
当時の会員開発委員会は総括幹事が、現つ○委員長!宿泊セミナーも東山閣で2泊3日。
「やるときはやる。やって当たり前。」というのぼりも出てたような。

いま、現会員開発委員会のスタッフをさせてもらっていますが、セミナーのプログラムも
たくさんありました。ぼく以降入会された方は想像もつかないかと思いますが、
同期の間ではいっつもこの話になります。こんな変わった?プログラムICON32

・猛呼訓練? 
FTと委員会メンバーがたって上段突きの構えをして、顔が当たるか当たらないぐらいの距離まで近づき、メンバーから「やるときはやる~。」といった後、
つづけてFTは「やってあたりまえ~。」と言い返します。で声が大きくでれば、「よしっ。」
とOKがでて次の人に代ります。 笑 すごい内容でした。

・あなたの本当に欲しい物はなんですか?
1分間、FT同士で2人一組で向かい合って手を繋ぎ、目をみつづけ、一方がタイトル
を言って、一方が答える。これの1分間、繰り返し。 手に汗びっしょりでした。

これ以外にも今までお世話になった人記入とか、オセロゲーム、ジョハリの窓、
人生グラフ、5年後、10年後目標など思い出に残るプログラム満載でした。ICON96

夜のナイト後のメンバー交流でも、くだけた表情はなく、真剣な語りでした。
その時です、部屋の障子を「ドォーーーン」と開けた当時のたけう○セクレタリーが
「コォラICON179お前らクリィードも覚えてへんのに、何のんどんねんICON66」これは真剣に怖かったです。
あっ。どつかれる。殺される。と思いました 笑

今でも夢に出ます(爆) 

明けては
早朝の寄贈品啓蒙、では東山閣からご存知、牛若弁慶贈を洗いにマラソンです。icon16

 当時のあきや○小委員長が先頭切って走り、これまた遅れたら大目玉と思って、
必死についていって、東山閣に着いて肩で息を切らしていると、
委員長から、「お前ら同期のおくれてるやつのことは心配せぇへんのか」と
これまた落としどころがありました。face10

皆さんそれぞれ、セミナーに思うところがおありかと思います。
皆さんのFTセミナーはいかがだったでしょうか。

しかし、セミナーネタ同期では盛り上がります。
思い出に色濃く残る思い出ありがとうございました。つじ委員長!!!

いや~「jcってほんっとにいいもんですね。」 
それでは「さよならっ さよならっ 

ICON161セクレタリー
あと更新頼んだ!

結局、ICON161野郎は更新せず・・・
でも、そんなの関係ねぇ~ はいっオッパッピィ~?!
  
Posted by innovator at 10:53京都JCの事業の歴史

2007年09月26日

1999年度広報委員会の思い出

今週はスタッフが担当するのですが。
先週までの投稿ペースからひと段落といった感じでしょうか。

ブログランキングもトップ20位圏内に突入!ICON59
上位に上がれば上がるほど、京都JCの魅力を世の中の方々に伝えることが出来ます。
それすなわちTHE 会員拡大

さてさて、本題に入りますが
前回は98年度組織運営委員会の思い出を書きました。
今回は翌年、99年度配属された広報委員会。

委員長は藤原良尚委員長。
98年の秋に藤原委員長から小委員長委嘱の電話があったのですが、

僕はバッサリと・・・face08
「すいません。試験に合格するまでは受けることできません」
え?何の試験って?

それはここではいえません。face03

要は、仕事とJCのバランスを考えてしまったのです。
そこから約半年、僕は一度も委員会に出ませんでした。

当時の運営幹事が僕の所属する第2小委員会担当。その運営幹事とは・・・・・・。

梅原運営幹事face08

僕じゃないです(笑)

第2小委員会はスリープメンバーばかりで本当にJCニュース担当月になっても
ほとんど運営幹事一人とスタッフが助け合って行っていたようです。
今から思うと本当に申し訳なかったです。icon10

梅原運営幹事は98年も僕と同じ委員会でした。そんなこともあって、スリープしている僕に
ことあるごとに電話をしてくれていました。
それも、動員の電話ではなく、近況と委員会の様子を伝えてくれて、僕を気遣う電話でした。

そんな僕がこの委員会をきっかけにJCをやってみようと思うようになりました。
仕事の方も懸念されていたことも解決し、JCに時間をさく余裕も出てきた5月。
その日は99年度前期FTの入会式だったと思います。
配属されたFTは野口耕一(先輩)君。
僕も初めての広報委員会だったので、気分はFTと同じでした。

委員会後の宴会はいつも盛り上がっていました。梅原運営幹事がいつも盛り上げ役となって、
そして岡本(光弘・歴代理事長)セクレタリーが奥村総括幹事をちゃかし、同期の小西(先輩)小委員長もそれに乗じて盛り上がるといった、そんなパターンがありました。ICON43

さらに盛り上がりになぶられていたのがわれらが辻委員長。ICON87
なんせ、小委員会のあとの懇親会で生まれたロシナンテ伝説は、
当時語り継がれた大爆笑ネタにもなりましたから。

そんな楽しい広報委員会にいつしか僕はひきこまれ、この年の後半は知らず知らずJCに時間を
さくようになったのです。

このときはJCの楽しさの原点に気づきませんでした。それに気づいたのは実は・・・・・昨年。
僕がこの広報委員会にひきこまれた本質は委員会の後の宴会が
面白かったからではなかったのです。

もちろん、宴会も楽しかったのですが、委員会の会議で多くの委員会メンバーが出席し、
真剣に議論し、JCニュースもまじめに取り組んでいたからこそ、委員会メンバーの結束があり、
そこから生まれるパワーが宴会を楽しくさせていたのでした。

そんなことに気づいたのが昨年。

だからこそ
今年は・・・・みんな楽しんでくれているかな?ICON45

委員会では3つあった各小委員会がJCニュースのネタ・企画を対抗意識メラメラで
よりいいものを出し合おうと真剣に議論がなされていました。

担当スタッフ間では委員会中に「これ第2小委員会のパクりやん」と冷やかしたセクレタリーに対して
総括幹事がマジギレするシーンも見られるほどでしたかられるほどでしたからicon08
(この二人・・・いつもなんだから・・・)

まぁ、僕が植村セクレタリーに委員会中にキレるようなものですけどね
え?次元が違うって?ICON49

この広報委員会が本当に僕のJCに対しての楽しみ方を教えてくれたと思っています。
ここから、本当にJCをやってみようと思いましたから。

ここからはウラ話ですが
このときのセクレタリーに
    「来年、一緒の委員会になったら、小委員長するか?」
の誘いにも
「はい!喜んで!」
って僕は言いました。

つまり、次年度配属のドラフトで1位でとってもらえる話だったのですが・・・・・・・

でも、僕が配属された委員会はこのセクレタリーが配属された委員会(会員開発委員会)
ではありませんでした。(ちなみにこの方は総括幹事をされました)

ここにも、総括幹事とセクレタリーの対抗意識があったようなのです。
・・・僕がパクられたようです(笑)face07
(僕は翌年この総括幹事(その年は副委員長)の委員会の小委員長をやったのです。)


99年の10月ころ・・・広報委員会のなかではそんな話でバチバチicon09とウラであったかなかったか(笑)

でも、この二人今だに顔を見合すと絡み合ってるようですが・・・・仲がいいんだか悪いんだか(笑)

ぜひぜひ ほんとに

会員開発委員会の皆さんには
残りの委員会活動で思い切り楽しんでいただき、いい思い出を残して欲しいと思います。ICON60
スタッフとしてもそんな思い出の演出のワンシーンにいられるようにしたいと思います。ICON63

みなさん、よろしこ!

今週はスタッフです。きっちり更新してや!気合のポチっ?!  
Posted by innovator at 13:12京都JCの事業の歴史

2007年09月12日

1998年度組織運営委員会の思い出

1つ前の記事を早く埋没させないといけないので・・・・・投稿face03

1997年後期入会した僕は翌年、委員会の配属はドラフトではなく、貼り付けという形で配属されました。
それが組織運営委員会。
委員長は・・・・あとのことがあるので名前は伏せておきますface04

何をする委員会かすらわからず、参加していましたが、今から思い出すと、
理事長のアテンド(理事長のかばん持ちかな?)を担当する業務と
業務のPC化推進(ホームページ作成準備?)と対外出向団体の見直し・・・
ほかにもあったのかな?

で、その委員会で覚えていることといえば・・・・

(京都会議お手伝い)
当日は雪が降っていたけど、宝ヶ池はババ積もりだったなぁ~
委員長の送り迎えで助手席に乗車したとき、委員長が降車する際に、降りずにぼぉ~として
ドアの開け閉めをせず、委員長を怒らせたことがこのときの思い出かな(勉強させてもらいましたface07

(成人式のお手伝い)
岡崎のみやこメッセで行われたのですが、場内整理のお手伝いだったのですが・・・・・
当時の委員会スタッフは主催者スタッフの段取りの悪さをぶつぶつ文句を言っていたのを
記憶しています。
でも・・・・・・文句は場内整理をしなければならない時に抜け出して
喫茶店で言っていた記憶が・・・・ICON58
その場では何もいえませんでしたが(委員長が先頭きって言っていたような)・・・・・
・・・・・・矛盾しているような気がしました。face06

(車イス駅伝のお手伝い)
車椅子の方々の扱いにすごく悩みました。なんでもかんでも手を差し伸べるのは
ダメって言われたのでしたが、どこからどこまでがOKで・・・
なんて今まで接したこともなかったので全然わかりませんでした。

しかも、選手の方はみんなピリピリ。近づくと怒る方までいた記憶があります。
この時、優しさと甘やかしとの違いについて考えさせられました。
(ある方は・・・・優しさと思いやりは違うって・・・・・言っていたなぁ~)

(ホームページ作成の勉強会)
PC推進化とホームページ立ち上げの準備のために委員会で平日の昼間にホームページ作成の
セミナーに委員会で参加することになったのですが・・・・・僕を含めて3人だけでした(笑)
まだ、PCも人差し指から右手でキーボードを打てるようになっただけのころだったので・・・・
html って言われても・・・・・ちんぷんかんぷんICON44
あの時、ちゃんと覚えていたらなぁ~

(サマーコンファレンスでの理事長のアテンド)
理事長のアテンド業務は主にスタッフがやられていたのですが、サマコンのときはFTの僕たちも
同行させていただきました。当時の西村理事長は穏やかな方で緊張している僕を和らげようと
いろいろお気遣いのお言葉をいただいていたわけなのですが・・・・
結局、最後までキンチョーICON47
京都に帰ってすぐに西村理事長からアテンドのお礼の手紙をいただいたときには感動しました。
でも、このころはそれ(お礼の手紙や電話)は当たり前だったようです。
でも、うれしかったです。

(対外出向団体へのオブザーブ)
本来は正副理事長が何らかの形(理事や委員)参加しているのですが、
このときは担当されている方(誰か知りませんが)所用でいけず、
委員長はじめスタッフもいけないということでFTの僕が行くことになりました。

行った団体は・・・・当時立ち上げて間もないNPO法人の気候ネットワーク。

京都議定書のCOP3ではその存在を発揮していましたが、まだ立ち上げ段階での会議でしたので、
当時、NPOが流行っていたときで、どこの団体も存続させるための資金調達が
課題となっていました。その話題がそのときの会議でされていましたが・・・・・
みんな結構無謀なことを言っていた気がします。

当時仕事でNPOにかかわっていたこともあって、
参加した出向団体の報告書を作成するに当たって、厳しいことを書いた記憶があります。
後に鋭いとか言われてほめられましたが・・・FTが生意気なことを
・・・今なら思いますねface02

ほかにもいろいろ・・・・委員会活動ではこれくらいかな?(笑)

この委員会の番外編では・・・・・
委員会旅行が東山閣であったこと・・・・当時の自宅から10分くらい・・・今なら5分もかかりません
そこでのいかがわしい思い出は鮮明に残ってます(ここでは書けません)

また、祇園の韓国人がやっている焼肉屋さんでは
生きている蛸の足を出してくれるのですが・・・・・・これにはめっちゃハマりました。
でも・・・・・最近はこの料理をやっていないようです。
                                     あぁ~食べたいなぁ~

そんなこんなで98年を振り返ってみましたが、この年の後半はあまり熱心に出ていなかったので
多くの思い出は・・・・ない・・・・かな。
だって・・・・この年の年末に結婚しちゃったから・・・・・・ICON59
しかも、卒業式の日が披露宴の日でした。

今から思うと・・・・・・信じられません。
そんなメンバー・・・・どう思いますか?(笑)ICON49


そりゃ~だめやろ!って方、ここクリック!  
Posted by innovator at 17:37京都JCの事業の歴史

2007年09月08日

さてさて、先ほど、50周年記念式典担当特別委員会の同窓会一次会が、終了しました。
そして今は、二次会の真っ最中です。

今日は、私にとっても特別の日。
忘れられない歴史的日です。
毎年、同じ日に同窓会は開かれますが、今年も手帳を新たにすると、
家族の誕生日や記念日とともに「50周年同窓会」と記入しました。

会場へはいつもギリギリ到着の私も今夜は余裕を持って
早めに家を出ました。
が、既に当時の委員長とセクレタリーの3人はお出でになっていて
お迎えしていただくと言うなんとも光栄なこと。
しばらくして、濱風総括、岡本副委員長、藤原副理事長がお見えに
なりました。
委員長のご挨拶で同窓会が始まりました。

委員長の冒頭のご挨拶でもありましたが、
これからも9月8日に同窓会をすることでいつか当時のメンバーが
あの時と同じように集えればいいな。
6年前、私も無我夢中で迎えた式典当日、今では何ともはずかしいような
粗末な活動振りでしたが、今日はそんな当時の思い出話とともに
近況の報告や時事の話題に花が咲きました。

お食事は中華。
本日、所用でご欠席の鈴木先輩方の差し入れの10年物の紹興酒は
大変美味で、紹興酒を飲みなれない私も美味しく頂きました。

次年度理事長を始め、現役メンバーも私と当委員会の総括の3人だけに
なりました。
今年度のこの委員会の活動も大変地味ですが、
数年後には、また一堂に会して思い出話に花を咲かせることができるのでは
と思います。時間と労力をかけた分、議論を白熱させた分、思い出深い又結束力の強い
関わりがもてるのだとやっと今頃気づきました。

そんな私ももうあと2年?で卒業です。  
Posted by innovator at 22:56京都JCの事業の歴史

2007年09月08日

(社)京都青年会議所創立50周年記念式典並びに祝賀懇親会

今から6年前の2001年9月8日・・・・今年と同じ土曜日でした。
京都JCは50周年を迎え、この日に記念式典と祝賀懇親会を開催しました。

担当は50周年記念式典担当特別委員会。
この1日のためにこの委員会のスタッフはほぼ1年間を費やしてきました。
平井誠一委員長(現 特別顧問)のもと集まったスタッフは6名。

その中のセクレタリーの一人が僕でした。初めてのスタッフ。

この委員会での経験が京都JCやJCの事業が何のためにあるかを本当によく考えさせてくれました。
年が明けて(2001年)本格的に委員会が動き出すと、本当にほとんど毎日がJCでした。
年当初から、JCルームは空いている日は全部予約するようにと指示が出され、
毎日のようにJCルームに入り浸っていました。

まるで高校時代の野球部の練習のように・・・練習がない日になるとホッとするのと同じように
JCルームが他委員会で使用される日が委員会もしくはスタッフ会議のない日で、自分の時間を確保できたような感覚でした。

それでも担当副理事長はじめスタッフの皆さんはグイグイと引っ張ってくださり、特に村井副委員長と岡本(光弘)副委員長には委員会活動だけでなく、夜のクラブ活動までグイグイと引っ張ってくださったこと、鮮明に覚えています。

また、委員会メンバーもツワモノぞろいで僕が担当していた第2小委員会は比較的自由にさせてもらいましたが、第1小委員会にはベテランメンバーだけでなく、今年も一緒にさせてもらっている川手委員などなど本当に第1小委員会担当スタッフでなくてよかったなぁ~って思うくらいの厳しい小委員会活動をされていました。(段取りを誤ったり、根回しがしっかり出来ていなかったら、小委員会が紛糾してスタッフ会議へ持ち帰りさせられたり・・・そんなことよくあったような気がします)

そんな小委員会活動ですが、第1小委員会は記念式典担当、第2小委員会は祝賀懇親会担当と
はっきりと役割が分かれていました。

僕は祝賀懇親会担当だったので記念式典には参加できませんでしたが、本当に最後の最後まで受付から出席者の席次で混乱をしたようで、インカムでもその様子がうかがえました。
まぁ正会員を含めて1000人弱はいましたからね。

式典での逸話では次年度理事長ノミニーである福井君がフレッシャーとしてこの委員会に配属されていたのですが、開会直前の混乱の中心にいた話はいまだに語り継がれています。

記念式典後は祝賀懇親会。
僕達が担当したところですが、どんなことをするのかで本当に悩まされました。
特にアトラクションはずぅ~っと小委員会で検討されたにもかかわらず、ギリギリまで決まりませんでした。

そりゃ~オープニングで五花街の舞妓芸妓を集めて舞を踊らせたり、京都の有名どころの料理店(全て特別会員のお店)15店の屋台出店をしたり・・・
予算にも限界があるのに、そこにアトラクションですから・・・・

結局は日本の横笛の第一人者の藤舎名生さんとつのだひろさんのセッション、
だけでなく・・・・BGMには1961年から2001年の各年度のレコード大賞の曲をテープで流すだけでなく、つのだひろさんのバンドメンバーによるライブつきでした。

祝賀懇親会では正会員は全員、参加者のサービス(屋台からテーブルまで料理をサーブしたり、ドリンクを注いだり)で懇親会のおもてなしをする側に徹していただきました。(祝賀懇親会終了後に宝が池プリンスホテル(当時)で同じ料理で打上懇親会をやりましたから)前日のリハでは僕が説明したのですが、本当に緊張しました。

本当にあちこち駆けずり回っていましたが、祝賀懇親会終了後、気が抜けたのか、足がすくんでしばらく立てませんでした。でも、このときの終わった瞬間は本当に充実感に包まれた瞬間でした。

会場でのあと片付けの後、既に終わりかけていた打上懇親会では正会員の皆さんに労をねぎらっていただき、その時に初めて僕の顔を覚えてくださった方も多かったのではないかと思います。

このときに学んだことや思い出はここでは書ききれませんが(っていうか・・・いっぱい書いてるって?)
この9月8日という日がこの委員会の記念日とでもいうくらいになっています。
その翌年2002年以降、毎年9月8日にこの時を共にしたメンバーは集まっています。

そして今年も・・・今日ですが、集まります。

6年経った今となってはこの委員会メンバー・・・本当にツワモノぞろいです。
歴代理事長2名、次年度理事長1名さらに担当副理事長を含め、理事長経験者を除く副理事長2名。
この日の段取りをする僕達セクレタリーは本当に調整するのも大変です。(みんな個性が強いから)

今年はその当時の委員長がJC最後の年です。
その当時のスタッフも来年になると・・・・・僕だけになってしまいます。
ついこの間のような気がしましたが、気がつけば、正会員もかわいがっていただいた先輩よりも
いろいろと伝えたり、教えたり、そして遊んでくれる後輩のほうが多くなっているわけで
自分の着陸点もぼちぼち考えなけらればならないように年になってきました(っていってもあと3年)

こんなに語れるJCを卒業するまでにもう一度、自分が与えてもらったように、今度は自分がみんなと共に作っていければ・・・・って思っています。


長くなっちゃいました。失礼ICON32


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Posted by innovator at 03:45京都JCの事業の歴史

2007年07月30日

MTセミナーってなんだろう?

 スタッフの投稿がないまま今週が・・・。
スタッフは6人ですよ~。

さて、MTセミナーってご存知でしょうか?2004年山下直前理事長が
会員開発委員長のときに企画、実行されました。

こちらはひらたくいうとMT(メンバーズトレーニング)セミナーのことで
フレッシャーではなく入会後のJCメンバーに対してのセミナーです。
以下議案より抜粋ICON32

[事業目的]
1)青年会議所運動に対する個々の価値基準を見つめ直し、個を確立するとともに志を同じくする多くの仲間と力を合わせて行動することの意義を改めて理解していただきます。

2)自らが次代の京都を担う原動力であるという自覚と責任を再認識していただくことで、率先して夢の実現に向けて行動するメンバーとなっていただきます。

と、このような目的のもと、座禅に始まり、京都JCの活動の振り返りと
先輩を交えたパネルディスカッションそして、FTナイトならぬ、MTナイト
(当時ここから私は出席しました。それまで何してたんやろ?)

このあとは各部屋に委員会単位ではない分かれ方で別れフリートーク
がなされていました。(当時の総務情報委員長 H井先輩はなぜかトークで熱くなり号泣されて
ました・・。笑)

そして翌日は早朝5時30分に花園駅にあつまり情熱体感タイム(寄贈品嵯峨野道路標識視察)
みなさんご存知、嵯峨野観光ルートの道路標識を全員で確認、
当時の先輩の思いを感じる場があったりと

このような大変な事業をなされていました。そして翌年には新たな企画で
ふれあいナイトがはじまり現在に至っています。

今年は京都JCツアーが新たな試み。当時僕が03の会員開発委員会であった時からは
ずいぶん事業の内容も変化しています。

少し過去の議案をさかのぼって見てみるのも面白いので調べてみてください。
京都JCホームページから過去の議案検索ができます。
是非ぜひ!!(委員長風に)

「やるときはやる。やってあたりまえ~。」(プログラム 猛虎訓練より)
2002年フレッシャー山○○平でした。


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Posted by innovator at 00:31京都JCの事業の歴史